<AHSインターナショナル>

フォーラム59参加報告

佐 藤  晃
(中菱エンジニアリング)

 

 2003年のAHSインターナショナル年次総会(フォーラム59)は5月5日から8日まで、米国アリゾナ州フェニックス市で開催され、約3,500名の参加者と80社の出展を得て例年どおりにぎやかに行われた。

 しかし今年は、日本からの参加者は10人以下で、発表もなく、日本に限ると例年に比べ寂しい会議だった。新型肺炎の影響やイラク戦争の後遺症など、悪条件がそろっていたので、個人も企業も出張を控えたのはやむをえないことだったかと思われる。

 そこで、ここでは、参加できなかった会員のために今年のフォーラムのトピックスなどを簡単に紹介したいと思う。もちろん多くのセッションが並行して行われたので、私が出席できたプログラムが中心になっている点はご容赦いただきたい。

 また、私個人にとっては、Honorary Fellowship Awardを受賞する幸運に恵まれた忘れがたいフォーラムとなった。

Opening General Sessions

 今年は米国がイラク戦争に勝利したばかりの時期であり、米軍の関係者も多数参加していたことから、戦勝ムード、愛国ムードがひときわ目立ち、外国からの参加者には戸惑いがあった。米軍の准将やNBCテレビの軍事解説者が、ヘリコプタが戦場で如何に有用であったか、如何に敵を有効に攻撃したかということを大画面での動画で説明していたが、Q&Aでエジプト来た参加者と激しい応酬が交わされていたのが印象的であった。


(オープニング・セッション)

Special Sessions

 7つのスペシャル・セッションがあり、私は "Military Program Manager Briefings" と "Rotorcraft Development Lessons Learned" の二つを聞いた。前者は毎年行われるセッションで、ヘリコプタ各機種のプログラム・マネジャーから今後のアップグレード計画などが説明される。これは米軍の装備計画を知る上で欠かせないセッションなので毎年聞いているが、よく準備されており、スライドを使ってかなり詳細なことまで説明される上に、Q&Aにも丁寧に答える。防衛庁ならなかなかここまで言わないだろうなと思いながらいつも聞いているが、ペーパーはないので言いっぱなし、聞きっぱなしであり、私のように言葉にハンディがあると消化不良になる。

 後者のセッションは今年はじめて企画されたもので、V-22(オスプレー)とRAH−66(コマンチ)の開発で得られた教訓を、これも割合正直に開発担当者から説明され、Q&Aも活発に行われた。どちらもまだ開発が終わってない時期であるにもかかわらず、このようにオープンな議論ができるのも彼等に自信があることの証かもしれない。ただし、これもペーパーはない。

Nikolsky Honorary Lectureship

 今年の講師はイタリア アグスタ社の技術担当副社長であるパンコッティ氏が「ヘリコプタ50年の歴史で乗り物としてどれだけ成熟できたか?」 と題した講演を行った。同氏はアグスタ社のほとんどの機体開発に関与し、設計者として指導的な役割を担っているとのことで、次々に新機種の開発機会に恵まれたこのような技術者は残念ながら日本で見つけることはできない。パンコッティ氏は、ひどいイタリア訛りの英語で、ヘリコプタもこの50年間でずいぶん安全で静かな乗り物になってきたが、皆が日常的に使える乗り物にするためにはまだ努力が必要とスライドを使いながら熱演した。

Technical Sessions

 18テーマに分かれたテクニカル・セッションでは、約200の講演が3日間、7つの会議室を借り切って一日中同時並行で行われた。講演内容の質は、いつもの年と同じように、ピンからキリまであり、非常に内容の濃いものから卒論程度のものまで。今年は残念ながら日本からの発表は1件も無かったが、そう構えないでもっとどんどん発表してもよいのではないかといつもながら思った。

Board of Directors Meeting

 会長がPratt & Whitney Canada の Ouimet氏から Georgia Tech の Loewy教授にバトンタッチされたほか、何人かの役員が交代した。今後のフォーラム計画は、2004年が6月にバルチモア、2005年が5月にカナダのモントリオール、2006年が未定であるがフォートワース、ラスベガス、フェニックスなどが候補に挙がっているとの報告が事務局長からなされ、了承された。

 各副会長からの活動報告の中で、私からはヘリ・ジャパン2002の結果報告を、参加者、会計報告、スナップ写真など、NHKで報道されたビデオもスライドに取り入れて行った。約500人の参加者があって期待以上の成果を収めたことと、次回のヘリ・ジャパンは2006年に開催すると今から役員諸氏に印象付けるべくPRしておいた。

Grand Awards Banquet

 フォーラム会場近くのハイアット・ホテルで恒例の夕食会および表彰式が、550人が出席して行われた。いつものように数々の表彰が行われた中で、私も毎年2名に限って贈られる Honorary Fellowship Award(名誉フェロー)の表彰をベル・ヘリコプタの Murphey社長とともに受賞した。

 表彰状の授与にあたり、AHSインターナショナルのOuimet会長より「三菱重工でのRP1実験機およびMH2000開発など回転翼機技術への貢献と、AHSインターナショナル副会長、日本ヘリコプタ技術協会会長などを務め、ヘリ・ジャパンの開催などに尽力した」との紹介があった。まことに身に余る光栄である。


(表彰状を受ける筆者)

 これもヘリ・ジャパンをはじめとする日本ヘリコプタ技術協会の活動が広く認められ、たまたま私が代表して受賞する幸運に恵まれたものである。この拙文にて、ご推薦いただいた方々や、ヘリ・ジャパンをはじめとする日本ヘリコプタ技術協会の活動に尽力していただいた方々に深く感謝したい。

 また、勇気あるパイロットに与えられる Frederic L. Feinberg Award は、台風と火災に同時に見舞われた定員オーバーの中国漁船から100人以上を吊り上げて全員を救出した台湾空軍の救難隊長が受賞した。会場にその救出劇のビデオが写されると、全員総立ちで拍手がしばし鳴り止まなかった。


(漁船員を吊り上げ救助する台湾空軍のS-70)

Exhibit Hall

 今年の展示は、出展社こそ80社と例年なみではあったが、実機展示はAH-64D(アパッチ)1機のみで、部品の展示も昨年のフォーラムと余りかわり映えせず、相変わらずアクティブ・フラップ付きのブレードやフェース・ギア/スプリット・トルクのギアボックス試作品など昨年も見たようなものが置いてあった。

 全体としてはパネル展示が多く、見ごたえのある展示が年々少なくなっている。ヘリコプタ・メーカの経営がどこも苦しく、大規模な展示をする余裕がないことや、イラク戦争の影響かどうか欧州企業の出展が少なかったことも展示物がいまひとつパットしなかった原因かもしれない。

Plant Tour

 5月9日は午前中ボーイング/メサ工場の見学会が行われた。見学会は定員50名で申し込み順に定員に達したところで締め切られたが、日本からの参加者はほとんどが見学会にも参加していた。

 フェニックスのダウンタウンから貸切のバスで約30分のところにアパッチの製造工場がある。部品製造工場、組み立て工場、飛行試験サイトなどなどを回ったが、外国への輸出機などを含め、かなりの機数が流れ作業で作られていた。ここでも生産性をあげつつ作業の間違いを無くす工夫が随所に見られ、「カイゼン」活動が取り入れられている。

 面白かったのは、気候が乾燥しているので、見学に出発する前に各自に水のペット・ボトルが1本づつ支給されたことである。確かに歩くと喉が渇き見学が終わったときにはほとんど全部飲みきっていて、その意味が納得できた。

むすび

 今年のフォーラムは、たまたまイラク戦争の終了直後という特別な時期に当たったので、ヘリコプタは兵器だという側面が強調されすぎたきらいがあった。今後の研究テーマも、兵器としての無人ヘリコプタがかつてなく注目され、有人機としての新機種開発計画がますます押しやられている印象を受けた。

 軍用にしろ民用にしろ、新機種の開発がどんどん行われないと元気が出ないのはいずこも同じである。当分は我慢の時代が続くと大方の関係者は観念しているように見えた。

『日本ヘリコプタ技術協会2003年度会報』掲載)


(帰国後、当協会の総会で受賞の挨拶をする佐藤晃氏)

(AHSJapan、2003.8.10) 

 

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