ヘリコプターは「あぶない」か?

星野  亮
(ユーロヘリ褐レ問)

 

 私の前身は陸自航空のパイロットであるから、果たして技術屋といえるのか私にはわからない。しかしながら私の周辺にいた同僚の中で、安全意識が人一倍高く、かつ操縦技術にすぐれたパイロットは例外なく航空機の構造機能に明るく、またいつもエンジニア的なアンテナを張っている人々であったから、私もいわゆる技術的なるものに対しては正面から謙虚に向き合うように努めたものである。

 さて、過日都内で開催されたシンポジウムに参加して驚いた。それは斯界の識者たる講師やパネラーの中に、ヘリの普及を阻害する三つの要因のIつとして、「あぶない」を上げた人が一人ならずいたことである。あとの二つの「うるさい」「高い」については、私も適切なものと思料するが、「あぶない」については、全く同感できない。

 ご承知のように、ヘリの有用性が決定的に認められたのは今から50年以上前の朝鮮戦争時、前線から多数の負傷兵の後送・救命に大いに活躍したことにあった。その後今日まで、一貫して続く技術革新の中で特にブレード、ハブ回り等、材質・構造面で幾多の改良改善が加えられ、またエンジン、トランスミッション等の信頼性も大幅に向上し、現時点では巡航速度、ペイロード等の増大ともあわせ、近距離航空交通の乗物としては、安全面・性能面ともほぽ完成の域に達している。

 さらに今後、GPS等の普及にあわせ、現行航空管制システムの一層のバックアップが図られれば、ヘリは有視界飛行、計器飛行とも、さらに身近で有用な乗物として国民に認知されるであろう。

 さきのシンポジウムでの謬(びゅう)見は、ヘリコプター事故のマスコミによるとり上げ方に起因するものと考えられるが、席上パイロットのパネラーが、「ヘリがあぶないのではなく、与えられる任務および環境によってあぶない場面もあり得る」と発言していたのは、けだし当然である。

 最後に、一言付け加えたい。「あぶないパイロットになるな」そして、「あぶない運用者になるな」と。本来安全なヘリコプターを「あぶない」乗物といわせるのは、もしかしてあなたかも知れないから。  

(『朝雲』紙、2003年12月18日付け掲載) 


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